学校設備で萌えて悶える10のお題 「校庭の水飲み場」前編

多分、その頃のオレは浮かれていたんだと思う。

新しい環境。知らないルール。増えていく友人。
どれもが心躍らせるもので、毎日がとにかく新鮮だった。

だから、久しぶりに会ったリナに、鬼のような形相で睨みつけられても、まったく心当たりが思い浮かばなかったのだ――。

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「リーナっ! ……どうしたんだ?」
「…………」
「ばーちゃんが、アップルパイ焼いてるから、リナを連れて来いってさ。ほら、一緒に行こう?」
「…………いかない」

小さな可愛い幼馴染は、大好物のアップルパイの誘惑にもめげず、オレの手を跳ね除け、桜色の頬をぱんぱんに膨らませてそっぽを向く。何がそんなに気に入らないのやら。
久々に会った彼女の変貌振りに、オレは面食らう。

普段のリナは、こんな拗ね方をする子じゃない。
元気いっぱいで、負けん気が強く、喧嘩っ早いところはあるものの、言い聞かせればちゃんと理解するし、近しい身内――この場合オレも含まれる――に対しては、わりと素直に接する。

何が原因かさっぱりわからず、床に座りこみ頭をがしがし掻いていたら、背後から聞き慣れた笑い声が漏れてきた。
「リナったら、まだ拗ねてるの?」
「ルナさん……」
余計な事を言うなとばかりに、リナは声の主を睨みつけるが、ルナさんはどこ吹く風といった風情で、オレの隣に優雅に座り込んだ。その一癖も二癖もあると評判の蠱惑的な笑顔で覗き込まれるのは、正直心臓に悪い。

「――ウチに来たの、何ヶ月ぶりかしら?」
「え? ……えーっと、最後に来たのは入学式の前だから……三ヶ月、かな?」
「もうそんなに経つのね。小学校は楽しい?」
「うん。友達もいっぱい出来たし、給食もうまいよ。授業は……まあまあ、かな」
「そう……そんなに楽しければ、毎日のように遊んでいたリナの事を忘れるのも、無理ないわね?」
「ねーちゃん!! いっちゃダメ!」
にやりと意地悪く微笑むルナさんと、かんかんに怒り出したリナの顔を見て、オレはやっと理解した。我ながら、鈍いにも程がある。

早いところ機嫌を治してやって頂戴と言い残し、立ち上がるルナさんに向かって頭を下げると、オレはそろそろとリナのほうへ擦り寄った。
「リナ……ごめんな」
「…………がうりい、きらいっ」
小さな肩を強張らせ、高く結われた栗色の髪が、ふるんっと振られる。

「うん……嫌われて当然だよな。三ヶ月も会いに来なかったんだから」
「……ばかぁ」
紅い目に浮かぶ光が揺らぎ、きゅっと結ばれた口の端が歪む。

「うん。オレ、ほんとバカだ。ごめん、許してくれリナ」
「…………ふぇ」
――そこが、リナの限界だった。
紅玉色の瞳にみるみる涙が溢れ、小さな手が自らのスカートを握り締めると、そのまま天を仰いで泣きじゃくる。オレはたまらず、その体を抱き寄せた。

「……寂しがらせて、ごめん」
「うぇっ…………がう、り、がっこ、いって……えぐっ……にちよーも、こな……」
「……うん。ホント悪かった」
「……むしと、り……やくそく、したの……に。こ、こなっ……」
「そうだよな……約束したはずなのに、忘れてたなんて。オレ、ホントダメなやつだ……」
「ふえっ……ふ、う、うわぁぁぁん!!」
火がついたように泣きじゃくるリナを、オレは抱きしめる事しか出来ない。何を言っても、この三ヶ月を取り戻すことはできないのだから。不甲斐ない自分に嫌気が差す。
オレは詫びの言葉を繰り返す代わりに、もう少しだけ力を込めて、リナを抱きすくめた。

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泣き止んだリナとオレが一番最初にした約束は、「リナを小学校に案内する」事だった。
もちろん、生徒以外の人物が用もなく学校に入ってはいけない事は知っている。
だけど、今、このタイミングで、リナのおねだりを撥ね除けられるわけもなく。その上、おずおずと上目遣いで遠慮がちにねだられては、首を縦に振る以外どうしろというのか。

翌日――日曜日。
温めなおしてもらったアップルパイをぺろりとたいらげたオレ達は、学校脇の通学路に向かった。道沿いにそびえる分厚いコンクリートの塀を乗り越えれば、そこは低学年用の校舎の真裏だ。
「リナ、準備はいいか?」
「うんっ!」
リナはぶかぶかの黄色い帽子のつばをひっぱり、深く被りなおす。オレが通学時に被っている帽子だ。
彼女は同い年の少女達の間でも小柄な方なので、帽子を被せても小学生だと主張するのは厳しい気もするが。まぁ、見つかって誤魔化せなかった場合は、隙を見て逃げようと、あらかじめ示し合わせている。「まかせてっ!」と勢いよく頷いたリナが、ポケットにコショウの瓶を詰め込もうとして一悶着あったが――それも、リナと出掛ける際の恒例行事みたいなものだ。

オレは小さな体を抱えると、まず塀の上に座らせた。少し横にずれ、今度は自分の体を塀の上に引き上げる。後はひょいと飛び降りれば、そこはもう学校の敷地内だ。
振り返れば、これから始まる冒険への期待に目を輝かせている、愛らしい少女。
ならば、エスコート役としては、期待に答えねばなるまい。

「お手をどうぞ――お姫様」

ぱちくり、と瞬きした後。差し出した手をとった小さなお姫様は、それはそれは素敵な笑顔を披露してくれた。


リナを泣かせたかったんだっ…! その理由は、後日談編で。


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