一脚の椅子

「リナさんと、ガウリイさんは恋人同士なんです――」
「違うわよ」
きっぱりと言い切り、フォークに突き刺したサーモンソテーを口に運ぶ。語尾にかぶるほどの速度で即答したあたしに、アイボリーのシンプルなドレスが良く似合う依頼人は目を丸くした。
だーってさあ、仕方ないじゃない。この手の質問は、耳にたこが出来るほど聞き慣れちゃったんだもん。依頼人の約半数。それが女性の場合、七割近い確率で尋ねられれば、いい加減こっちもうんざりするわよ。

「そんな……あんなに素敵な方なのに」
うん、見た目はね。まあ、中身はくらげだって事をわざわざ伝える必要もないでしょ。うら若き乙女の夢を壊さない配慮が出来る程度には、あたしもオトナなのだ。ちなみにこの配慮は、依頼の額によって増減する“ふぁじい”なシステムである。……そういや、最近ファジーって単語、聞かなくなったわね。

「実はまだ片思い中とか? でしたら私、応援しますわ!」
「それもない。リリアーナさんが深読みしすぎ」
きっぱり二乗。この流れも、想定範囲内だ。あたしは顔も上げず、ロールキャベツにナイフを入れる。うん、美味しい。久々に当たりな店を引いたわ。

「冷める前に食べた方がいいわよ、リリアーナさん。この店美味しいから、もったいないって」
「ええぇ、でもぉ……。リナさんが正直に白状してくださらないんですもの」
「あたしがいつ嘘を言ったってゆーのよ!?」
「だって、おかしいですよ。あんなに素敵な方とずっと一緒に旅をしてきて、全く意識しないなんて」
うあ、しつこいなこの人。あたしの中の配慮ゲージが、音を立てて下がっていくわ。

「おかしいのはリリアーナさんの方じゃない。これから結納の挨拶に向かう婚礼前のおじょーさんのくせに、他の男気にしてる場合じゃないでしょ」
多少嫌味を込めて言ってやれば、そういう可能性を全く考えていなかったのか、翡翠の瞳がぱちぱちと瞬いた。
「あらやだ、そんなつもりはなかったんですけれど……。私、同年代の女性とお話しする機会があまり無かったんです。だから結婚前に他の方の恋愛談を聞いてみたいなと思って、リナさんと同じテーブルにして頂いたんですのよ」
「あー、そういうことねー……」
結婚前に比較対象を知りたいとか、好奇心を満たしたいとかそんなところか。もっとも、コイバナの相手としてあたしが適任とは思えないけど。
あたしはチキンのクリーム煮を口に運びつつ、さてさてどうしたものかと考える。リリアーナさんの瞳は未だ期待の色を宿したまま、真っ直ぐあたしを見つめていた。
正直言うと、色恋話の相手は面倒くさい。遠慮したい。逃げれるもんなら逃げたい。だけど、依頼料も破格だったし、好奇心旺盛なところはあるけれど、基本大人しくて扱いやすい依頼人だし、ここはサービスしてあげるべきだろうか。恋人同士かと問われるたびに繰り返してきた、例の話を――。

むぐむぐこくんっ、と鶏さんを飲み下したあたしは、リリアーナさんに向かって、手にしたフォークでテーブルの脇を指し示した。
「そこに、一脚の空いた椅子があるわよね」
「え? あ、はい。ありますね」
「その隣にリリアーナさんと……えーと、未来の旦那さんの名前、何ていったっけ?」
「キースです。キース・フォウリー」
「キースさんね、了解。じゃあ今から、あたしの質問に答えてね。
 一脚の椅子がありました。そのかたわらに、リリアーナさんとキースさんが居るとしましょう。
 そして、あなた達は二人とも疲れている。さあ、どうする?」
「え……」
あたしの唐突な質問に、リリアーナさんはぽかんと呆けてしまった。まあ、無理もないかな。さっきまでの話題と、全然繋がらないように思えるでしょうしね。

あたしはフォークを置くと、テーブルに肘をついて、のんびり彼女の答えを待つことにした。その間、暇つぶしにガウリイの観察でもしよっかな。ちなみに自称保護者は、奥のテーブルでリリアーナさんの両親と食事を取っている最中だ。あたしと同席でないせいか、普段よりフォーク捌きがのんびりとしている。そのガウリイのフォークが三回ピーマンを避けたところで、リリアーナさんはやっと顔を上げた。
「えっと……多分、ですけど。キースは、私に椅子を譲ってくれると思います……」
「うん、恋人同士ならそんな感じよね。じゃあ、二つ目の質問よ。
 一つ目の質問と同じ状況で、今度はキースさんが足を怪我しているとするわ。さあ、どうする?」
「それは当然、キースに椅子を譲ります」
おお、今度は即答だ。テーブルの上できゅっと握り締めた手が、いじらしいやら、微笑ましいやら。思わず笑みがこぼれてしまう。

「じゃあ、最後の質問いくわね。一つ目の質問と同じ状況なのは変わらない。
 だけど、今度はキースさんが片足を失ってしまった状態だとしたら、どうする?」
「そんなの、キースを座らせるに決まってるじゃないですか!」
「うんうん、そうよね。それが恋人同士ってもんよねー」
腕を組み頷くあたしを、リリアーナさんは訝しげな目で見つめる。あは、何故そんな当たり前の事を聞いてくるのかって考えているでしょう。顔に書いてあるわ。まあ待ってよ。今から答えてあげるから。

コンコン、と軽くテーブルを叩く。それだけで、ガウリイはこちらを振り向いた。軽く手招きをすれば、猫の子のように、とことことこちらへやって来る。
「何か用か、リナ?」
「ちょっとここ座って。あんたに質問があるの。リリアーナさん、ガウリイの答えをよーく聞いておいてね」

空いた椅子にガウリイを座らせ、あたしは先程と全く同じ質問を繰り返す。
ただし登場人物は、あたしとガウリイの二人だ。


 一脚の椅子がありました。そのかたわらに、あたしとガウリイが居る。
 あたし達は二人とも疲れている。さあ、どうする?
 ――リナを座らせる。

 一脚の椅子がありました。そのかたわらに、あたしとガウリイが居る。
 あたし達は二人とも疲れていて、ガウリイは足を怪我している。さあ、どうする?
 ――リナを座らせる。

 一脚の椅子がありました。そのかたわらに、あたしとガウリイが居る。
 あたし達は二人とも疲れていて、ガウリイは片足を失っている。さあ、どうする?
 ――なら、椅子なんて必要ない。俺も、リナも。……だろ?


「ええ、そうね。その通りだわ」
にっこり笑って答えたあたしを、リリアーナさんが呆然と見ている。まあ、予想外でしょうね。今まで話した人達も、同じ顔をしてたわ。そして、あたしがさらに一言付け足すと、皆金魚みたいに口をパクパクさせて放心しちゃうのよ。

「ちなみに、あたしもガウリイと全く同じ回答よ。……これで、誤解は解けたかしら?」

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一脚の椅子がありました。

そのかたわらに、あたしとガウリイが居る。あたし達は二人とも疲れている。
ガウリイは、あたしを椅子に座らせるだろう。いざという時のために、体力を温存するようにと。
そして、自身は立ち続けるだろう。危険が迫った瞬間、誰よりも早く対応できるようにと。

そのスタイルは、足を怪我した程度では変わらない。
あたしは、ガウリイのフォローに入れるよう、一刻も早く体力を回復するよう努める。
ガウリイは怪我というハンデを埋めるため、座ることなく、いつも以上に神経を張り詰めて警戒するだろう。

そして、ガウリイが足を失った時――それは、あたし達が別れる時だ。
傷ついた相方を椅子に座らせ、庇いながら敵と戦う――そんなぬるいやり方で勝てるような敵ではないのだ。あたし達が相手にするモノは。
だから、自分が相手の足を引っ張る存在に成り下がれば、きっぱりと別れる。故に椅子なんて必要ない。自らの足で立ち、自身を守らなければならないのだから。
それぐらいの覚悟で、あたしとガウリイは同じ道を歩いている。


実のところ、リリアーナさん好みの回答をするならば、あたしとガウリイはいわゆる男女の色事というやつを既に済ませていた。時には甘い言葉だって囁くし、ベッドを共にする事だってある。
けれど、一脚の椅子を前にした時、あたしとガウリイは、どうしたって普通の恋人同士のようには振舞えない。この関係を、何と呼べばいいのだろう。相棒? 戦友? 仲間?
どれもが当てはまるような気もする。何かが違うような気もする。無理に当てはめる必要もないんじゃない? って気もする。

だって、何度同じ質問を繰り返しても、ガウリイは「またか」とは言わない。
毎回初めて聞いたような顔をして、ゆっくり考え、同じ答えを返す。あたしもそれに同意する。
だから、あたしたちの関係は「こんなもの」なのだ。
恋人同士みたいに甘いだけの関係じゃない。仲間と呼べるような共通の目的もない。相棒より近しい位置で、時には肌を触れ合う。こんな関係をたった二文字で説明するのは、やっぱ難しいわ。

「あたしはわりと、今の関係を気に入っているんだけどね」
「あ。俺もだぞ」
あは、そっか。
あんたも同じ気持ちなら、もうしばらく「こんなもの」な関係でもいいんじゃない?


だだっ広いリビングに、椅子が一脚しかない光景を最近目にしまして(ああ、あれね、と浮かんだ方は、お口チャック!)
リナがそこに座る光景は簡単に想像がついたのですが、『ガウリイが座る』のはなぜか難しかったんです。ましてや、リナをお膝抱っことか無理無理と私の脳が叫ぶ。何でかなーと考えたところ、この話が出来上がりました。


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