とある世界に苦題 「聖女給金歩合制」

屋外の喧騒からも、心配性の保護者からも隔離された、とある宿の一室。
まだ日も高い時間だというのに、鎧戸が半ば閉じられている室内は薄暗い。
その場所で、備え付けの粗末なテーブルの上に身を投げ出し、ひんやり感を味わっているあたしの横では、カツカツと白墨を叩きつけるような音が響き渡り、ほの白く光る文字が宙に浮かび上がっていた。

『聖女給金歩合制』

書き終えた男は満足げにひとつ頷くと、手を払いながらこちらを振り返った。本当に白墨を使ったわけでもないのに、凝り性な奴である。
「この言葉の意味……リナさん、わかります?」
「…………」
この場合の無言は、解らない――ではない。
何故、答えねばならんのだ? そーゆー気分の現れである。
もちろん、それを理解した上で、目の前の男はもう一度、笑顔で問いかけてくる。おそらく、あたしが答えるまで、延々と繰り返す気だろう。それは遠慮したい。
あたしは、テーブルの上に投げ出していたけだるい体を起こし、肘をついたまま投げやり気味に返答した。

「各々の単語の意味なら、わかるけどね。
 聖女は、清らかな乙女。
 給金は、お給料。
 歩合制は、仕事量に応じた報酬……そんなところでしょ?」
「はい、その通りです。さすがですねー」
……こんな回答で拍手されても、嬉しくないから。むしろ放っておいてくれる方が、ありがたいっつーの。

「では、再度問題です。『聖女給金歩合制』とは、何でしょう?」
…………振り出しに戻ってるし。
これなら、最初から『あたしにはさっぱりわからないわ……教えてゼロス(はぁと)』とでも、答えておけばよかっただろうか? その方が、嫌がらせとしては相応しかった気がする。
まあ、本調子でない体で、ゼロスと舌戦を繰り広げるのは土台無理だ。
素直に『ワカリマセン』とだけ答えると、黒ずくめの獣神官はつまらなさそうに首をすくめた。

「まあ、言葉どおりの意味ですよ。『清らかな乙女に対する、仕事量に応じた報酬制度』……そんなところです」
「聞いた事ないわよ、そんな制度」
「そりゃー、僕が先程考えた制度ですから」


どがしゃぁぁぁ!!!


――思わず椅子ごと倒れてしまったあたしを、誰が攻められようか。
「あ、あんたねぇ……自分で勝手に作り上げたモンについて、『わかります?』とか、尋ねるなぁぁ!!」
「いやぁ、察しの良いリナさんなら、ひょっとしたら解るんじゃないかと思いまして」
いやいや。無理だから。
のそのそと起き上がるあたしに手を貸すこともなく、ゼロスは言葉を続ける。

「では、順を追って説明しましょうか。
 まず清らかな乙女とは――純潔を守る女性のこと。つまり、処女を指します」
……うあ。いきなり、うさんくせー。
『性別』とか、『生殖』なんて単語に縁がない魔族が口にすると、なおさらだ。
即、この場から逃げ出したい気分に駆られたが、あたしの心を見透かしたように、扉の鍵がかちり、と音を立てた。おにょれ、ゼロスめ!

「リナさん、逃げちゃだめですよー。
 さて、次に。清らかな乙女の仕事とは何か? ……僕はですね、『生殺し』じゃないかと思うんですよ」
「…………はぁ?」
「飼い殺し。寸止め。どっちつかずに、宙ぶらりん。言い方は色々ありますけどね。
 アプローチしてくる男性を『生殺し』にすることこそ、純潔を守る女性の醍醐味ではないかと」
「せんせぇ。今のセリフは、世の『清らかな乙女』達の大半を、敵に回すとオモイマス」
「おや、それは困りますね……では、こういう事で」
再び、白墨を叩きつける音が室内に響き――新たな文字が浮かび上がった。


『このお話は、フィクションです。』


「うぉい!!」
「いやー。これ、便利な呪文ですよねー。上司に理不尽な命令をつきつけられた時とか、常々使いたくなりますよ。
 ――では、最後いきましょうか。『生殺し』に励んだ乙女に対する『報酬』は何か?
 ……これは、リナさんもご存知でしょう?」
「…………どーゆー意味かしら?」
あたしの射るような視線をものともせず、愉悦に満ちた紫の瞳が、薄闇の中で妖しく光る。

「やだなぁ。とぼけなくても、全て知っていますよ。
 三年弱もの間、ガウリイさんを『生殺し』にしてきて、一昨日『報酬』を受け取ったばかりなんでしょう?
 なにせ、三年分の『報酬』ですからねー。そりゃあ、一昼夜お相手させられるのも無理はな――」
「回りくどいセリフで60行近く使っておいて、言いたい事はそれかあぁぁぁぁ!!」


すこぉぉぉん!!!


「――!? ちょっ! 今、リナさん、何投げました!?」
「ただの木のカップよ!」
「何で、ただの木材を投げつけただけなのに、魔族の僕がこんなに痛いんですか!?」
「知るかっ!」
「どんな念を込めたんですか、まったく……。先ほど、街中でガウリイさんにお会いした時、『リナさんの調子が悪い』っておっしゃるから、お見舞いに来ただけなのに……ひどいです」
「ほっほぅ。ただの見舞い客が、何故こんなくだらない制度を捏ね上げたのか、聞かせてはもらえないかしら?」
「それはですね……リナさんの調子が悪いと心配しているにも拘らず、ガウリイさんの表情がフライパンの上のバターのように溶けきっておられたので、お二人に春到来の予感を察知して、こーやってからかいに来たわけで――」


「…………あんたら二人とも、混沌の海に送ってやるっっ!!!」


――後にゼロスは、こう言っていたらしい。
この時のあたしなら、拳だけで純魔族を倒せたかもしれない、と。


っ【その命令は、フィクションです。】…………って、言えたらいいのに。のに。


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