とある世界に苦題 「王妃と聖騎士のスキャンダル」後編

アメリアの知人という触れ込みで――真実なのだから、特にやましさを覚える事もなく、ガウリイがボロを出す事もなく――パトリツィアさんに紹介され、城に滞在すること三日。
その夜、彼女が動いた。

いつぞやセイルーン王宮に侵入した時と大差ない、全身黒ずくめの装束で後を追うあたしたち。彼女はあたしたちの気配に気づかぬまま、人目の無い地点で城壁にはしごをかけると、そこから街へと抜け出す。
「この方向は……街外れに向かっているわね」
「みたいだなー…………あ、ヤバイ。巡回の兵士だ」
幻霧招散(スァイトフラング)

「危ない危ない。こんな格好で兵士に見つかったら、一発で捕まるわ」
「だなー……ん? なあ、リナ。あの男、彼女の後をつけてるようにみえる」
眠り(スリーピング)!」

「……多分、ラルティーグよりの臣下の人が差し向けた密偵でしょうね。
 事情を聞いてる暇はないし、ここに転がしておいて、後を追いましょ!」
「おぅ……って、伏せろ! 彼女が振り向いた」
黒霧炎(ダーク・ミスト)!」

――立ち止まった足音が、再び遠のいていく。どうやら、気づかれずに済んだらしい。光を通さぬ魔力の闇に紛れ、あたしは胸をなでおろす。
ふいに、ぽん、と肩に乗せられた重みと熱は、おそらくガウリイの手だろう。彼が居ると思われる方向に顔を向けると、申し訳無さそうにひそめた声が流れてきた。
「すまん、リナ……オレ、誤解してた」
「……何を?」
「お前さんが、こんなに浮気調査に向いてるとは思わなかった。いっそのこと、専業にしたらどうだ?」
「誰がするかぁぁぁ!!」

すぱぁぁぁん!!!

――視界の通らぬ暗闇の中でも、あたしのツッコミ技(スリッパ)は健在だった。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------

迷いなく歩を進めていたパトリツィアさんの足が止まったのは、街のはずれに程近い、見晴らしのよい広場の前。
中央には、もっさりと枝を伸ばした緑樹が立ち、その木の根元には、簡素なベンチが備え付けられている。少し剥げた石畳の上には、どこかの子供が忘れていった小さなボール。さらに少し離れた場所には屋根付きの井戸があるところから見るに、昼間は近所の主婦と子供たちの憩いの場になっているのだろう。
誰かを探しているのか、警戒しているのか? 辺りを見回しながら、ゆっくりとベンチへ近づく彼女の背を見つめ、あたしは眉根を寄せる。

「どうやら、当たりっぽいな」
「……うん」
人目の無い場所を把握するための下調べ。
抜け出すために必要なはしご等、余念の無い準備。
ここに辿りつくまでの、迷いが感じられない歩調。
どれもが、彼女が城を抜け出すのは、これが初めてではない事を告げている。

まだ浮気が確定したわけでは無いけれど。
この三日間、温かくもてなしてくれた二人の仲睦まじい姿を思い出すと、何かの間違いであればいいと思っていたのに――。
はふ、と重いため息をつくあたしの頭を、暖かい手がくしゃりと撫でる。
「リナ……もう少し、近づいてみようぜ」
「……そだね」
そうだ。まだ決まったわけじゃ、ない。

あたしは小声で浮遊(レビテーション)を唱えると、地面に影が差さないよう気を使いつつ、ガウリイを腰にぶら下げたまま、広場に面した民家の屋根に降り立つ。
その間に、パトリツィアさんは木の下のベンチまで移動していた。
むぅ、あの位置だと話し声までは聞き取れない。とはいえ、気づかれずにこれ以上近づくのは、流石に難しい。
どーしたもんかなと首をひねっていると、くいっと服の裾が引かれた。
無言のまま振り向き、ガウリイの指差す先を目で追うと――広場の出入り口に、マントを羽織った男の姿。あたしたちが居る民家の脇から出てきた男は、こちらに背を向けたまま、真っ直ぐベンチを目指して進む。
間違いない。目当ては、パトリツィアさんだ。

あたしは、屋根から少し身を乗り出すと、月光を頼りに目を凝らす。
顔は見えない。中肉中背。短く刈り込んだ、プラチナブロンド。
ぴしりと伸ばした背中に羽織った灰色のマントは、少しくたびれており、旅人か傭兵が纏うものにも似ている。きびきびとした歩調に合わせ、翻るマントから覗くのは……長剣?
「ねぇ、ガウリイ。あいつ、帯剣してる?」
「ん……ああ、してる」
――マズイ。
この距離では、万が一彼女が襲われた時、フォローに入っても間に合うかどうか。
近づく男に気づいたパトリツィアさんが、ベンチから立ち上がり駆け寄る……あぁぁ、ちょっと待ってぇ!!
あたしが慌てて、影縛り(シャドウ・スナップ)用のナイフを取り出そうとしたその時――男が動いた。

「何者!?」

振り返ったその手には、既に抜き身の剣が握られ、その切っ先が指す方向は――――あたしたち!?
ナイフを投げる間もなく、ガウリイにすごい力で体を引き倒され、ぺったりと屋根に伏せ――たっぷり100は数え終えた頃。
「……どうしました? アントン」
「殺気を感じた気がしたのですが……どうやら気のせいだったようです」
漏れ聞こえてきた会話に、あたしは再び胸をなでおろす。

「……危なかったなー」
「うん、助かったわ。ありがと、ガウリイ」
帯剣に気づいた時点で、相手が気配を読める可能性を考慮しなかったのは、あたしのミスだ。今度は気づかれぬよう、こっそりとナイフを取り出そうと、ベルトに手をかけると――その手をガウリイに押し止められた。
「……警戒しなくていいと思うぞ」
「え……何で?」
ぱちくりと目を見開いたあたしを見て、ガウリイは穏やかに微笑む。

「おそらくだが……あの人、彼女の剣の師匠なんじゃないかと、思う。
 太刀筋が同じだった。それに、彼女が使っていた剣と同じ紋章が、あの剣の柄にも入ってる」
彼はそう言って、体は伏せたままマント姿の男を指差すが、あたしに見えるはずもなく。
その代わり、マントを羽織った男の横顔に、豊かに蓄えた白ひげを見つけた。
……しまった。プラチナブロンドだと思っていた髪も、実は白髪だったのか……。
こりゃ、浮気相手というより、おじいちゃんと孫の関係と呼ぶ方がしっくりくるわ。

脱力して突っ伏したあたしの隣にガウリイは体を寄せると、笑いを含んだ声で囁いてきた。
「それに、さ」
「ん?」
「あんな表情、知らない相手や、恋人に向けるものじゃないだろ?」
つい、と横にずらされた指が指すのは――月明かりの下、恋する乙女のように頬を染めるでもなく、王妃として上品に振舞うでもなく。ただ、年相応の少女らしく、屈託なく笑うパトリツィアさん。
それはおそらく、友人や家族に向けられる類の、親愛の笑顔。

「なるほど……あたしがガウリイと一緒にいる時と、同じような表情だもんね……きっと当たってるわ」
「……え〜〜……」
一体、何が不満なのか?
黒いマスクをずらしたその下の顔は、実に嫌そうに歪んでいた。

「ちょっとぉ。こーんな可愛い美少女に保護者として頼られて、何が不満だってゆーのよ」
「……知らん」
「知らなくはないでしょー! 顔に不満だって書いてあるわよ」
「……ぐぅ。」
「しらばっくれんなー!」
「…………リナの鈍感」
「なーんですってぇ〜!? クラゲ頭のあんたに、言われたくないわよ!!」


――柔らかな月明かりの下、再会を喜ぶ身分違いの師弟。
その上方で、不毛なケンカを続けるあたしたちの姿を誰かが見ていたら――さぞかし滑稽に映った事だろう。


多分マイナー呪文だと思われる(ひどい)『幻霧招散』は、霧を発生させる呪文です。ミリーナが使っていたよう…な?

話に組み込み損ねましたが、お師匠さんは国元(セイルーン)の方です。心配して会いに来たけれど、家族でもない一騎士の身分で面会を申し込むのも……と躊躇っていたら、パトリツィアさんの方が抜け出してきたとか。アクティブな王妃様です。


inserted by FC2 system