10の欠落 「こいしい、という感覚が消えたら」

生まれた時から『彼』は共に在って、それが当たり前だと思っていた。

知識も理も、知らない事は皆全て『彼』から引き出せる。時折古すぎて役に立たないモノも混じってはいたけれど、それは自分で調べて書き換えればいい。誰の頭の中にも『彼』は存在して、他人の頭と、自分の頭は同じ構造で出来ていると信じていた――三歳まで。

年不相応な知識と発言をいぶかしんだ祖父母が、赤の竜神(スィーフィード)を祭る教会に相談し、巡り巡ってどこぞの高僧の前まで運ばれた結果辿り着いたのは、私が「赤の竜神」の力の残滓を宿しているという事実。
そのまま教会に幽閉され、プロパガンダとして利用されなかったのは、ひとえに父のおかげだろう。滅多に抜かない剣をちらつかせ、半ば押し込み強盗まがいの様相で私を連れ帰ったのだと、一時町内の武勇伝として噂されていた。眠らされていた私は、その顛末を見る事は出来なかったのだけれどね。

その後、ゼフィーリアの紋章をあしらった豪奢な馬車が何度か我が家を訪れ、父と母が渋面のままその一団を見送った結果、私はこの家で、この街で、この国で暮らせる事になった。
有り体に言ってしまえば、この家に幽閉、この街に軟禁、この国に隔離。

贅沢? 我侭? 冗談じゃない!
世界を知る私にとって、ここは指一本動かせない牢獄と同じ。

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夕焼けの朱と、夜空の藍が混じる瞬間の空が好きだ。
風景という名の額縁は同じでも、空の色合いは日々違うから、時が動いている事を実感できる。私はまだ死んでいないのだと、安堵する。その確認のためだけに、私は夕食前の僅かな時間、こうして毎日屋根の上に登る。

「ねーちゃーん、ご飯だって! 屋根の上で何してんの?」
屋根瓦の端からひょっこり顔を見せたのは、栗色の頭。あたしの妹、リナ=インバース。

「空を、見てたの」
「そら? ……あー、夕焼け綺麗だもんねー」
「そうじゃなくって。空が恋しいなって」
かくんと首を傾げるリナ。けれど次の瞬間には目を輝かせ「一緒に呪文で空を飛ぶ?」と身を乗り出してきた。覚えたてのモノを、とにかく使ってみたいお年頃らしい。先日、飛行呪文の練習中に海に突っ込んだばかりだというのに、ホント懲りない子。
この感覚は、あんたには一生分からないわよ。


空が恋しいの――世界が恋しいの。
自分自身の記憶じゃないと分かっていても、天駆ける翼で羽ばたき、大空から飽きることなく眺めたこの世界の光景が忘れられない。数多の血が流れると分かっていても、滅ぶには惜しいこの美しい世界を守るため、戦に明け暮れた日々が忘れられない。
ああ、私はこんなにも世界を愛しているのに。許されたのは、覗き見の窓から四角く切り取られたようにちっぽけな空を眺める事だけなんて。


無言のあたしから何かを感じ取ったのか、紅い瞳が覗き込むように見上げてくる。
「あたしの魔法が不安なら、自分で唱えてみる? 浮遊(レビテーション)ぐらいなら、わりと簡単に覚えられるよ?」
「あら、リナったら。今のままでもあたしに勝てないくせに、この上あたしが飛べるようになったら、ますます勝機が無くなるけど」
いいの? と問えば、わかりやすく歪む小さな顔。あんたのそういう正直なところ、結構好きよ。

ねえ。
真っ直ぐで、負けん気が強くて、神様(赤の竜神)にだって勝負を挑む、あたしの妹。
あたしを一人の人間として接してくれる、あんたが大好きよ。

でもね。
何のしがらみも無く、自由気ままに、どこへだって行ける、あたしの妹。
そんなあんたが、羨ましくて、妬ましくて――嫌いよ。

ああ、牢獄だけじゃない。あたしの体は俗世と感情の双鎖でがんじがらめ。
これはどうすれば解けるのかしら。どうすればあたしは――空へ帰れるのかしら。


「じゃあとりあえず、指を動かしてみるのはどう?」
……え?
弾かれた様に振り向けば、藍色の空へ向けて細い腕を精一杯伸ばしたリナが、仄かに瞬き始めた星々を指差していた。一つ、また一つと浮かび上がる光を指で追い、よどみない口調でその星の名を読み上げる。

「昔、雨の日に友達とよくやった遊びでね。
 世界地図を開いて、行った事のない街を指差して、その名前を読み上げて。
 そこに何があるか、どんな人が住んでいるか、何が美味しいか、皆で想像するの。
 そうやって、旅した気分に浸るわけ。これがなかなか楽しいんだよ?」

だからね、とリナは笑う。

「空だって、こうして指で追いかけてみれば、飛んだ気分になれるかもよ?」
「…………なるほど、ね」

再び、リナは笑う。屈託無く笑う。
そして藍から黒へと色を深めた夜空を仰ぎ、また一つずつ指差しながら星を追い――空想の中で、空を飛ぶ。

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そうね。

あたしも頑張って指を動かしてみようか。
どんなに狭い牢獄でも、そこから空が見えるなら、たった指一本でも伸ばしてみようか。
そこから何かが変わるかもしれない。何も変わらないかもしれない。
それでも試す価値は在るのだと、あんたを見ていたらそう思えたから。
足掻いてみよう。いつか、空へ帰るために。

「ねえ、リナ……ディルス王国へ行ってみる気は、ない?」



コンセプトは二つ。
一つは、「なぜ郷里のねーちゃんは、金色の魔王の伝承をリナに聞かせたのか」。そこの解明。
これは公式的(1巻時点)には、「てへ。なんとなく?」でFAだと思うんですが、あえて理由をつけてみた。1巻終了時点なら「てへ」で済まされると思うんですが、8巻まで読んだ読者的には、「アブねーもん教えたな、おい!」って気分になると思うんですよ。てゆーか、なったよ!

もう一つは、「魔族への牽制の意味をこめて、ルナさんはあえて動かない」とのことですが、それを当人は納得してるのかなー? と疑問に思ったもんで。
自ら選んだ道なのか、それともこの話のように偉い人が決めちゃったのか。その辺の経緯にもよるのでしょうが。誰かに決められた事だとすれば、下手にスィーフィードの知識を有している分、息が詰まる思いではないかと。

ところで。ツッコミくる前に白状しちゃうと、この話大変な矛盾を含んでおりまして。
ゼフィーリアから動けない設定なのに、どうやってリナをディルスまで連れて行ったのかと。……まあそこは、お偉方を上手く言いくるめたってことで(汗)


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