10の欠落 「かなしい、という感覚が消えたら」

基本、荷物の量は旅の負担にならないよう、少なく抑えてある。ましてや、昼夜問わず、いつ逆恨みした盗賊に襲われるかわからない身の上だ。いつでも宿を飛び出せるよう、手荷物はナップサックに入れっぱなしがほとんど。
ゆえに、宿を発つために必要な準備はあまり多くない。忘れ物がないか部屋を見渡し、ナップサックを背負い、チョイとおまじないを済ませれば、ハイおしまい! 我ながら気楽なもんである。

だが最近、そんなお手軽三ステップの身支度に、新たな項目が一つ追加された。
『旅の連れの腰元チェック』である。

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「おっはよう、ガウリイ! ……うん、今日は忘れ物はないようね。エライエライ」
「おはよー……ってお前なぁ。この間手荷物忘れそうになったのは、ほんとたまたまだっつーの」
「どうだかねー、あんた元傭兵のわりに色々抜けてるんだもん。あたしがしっかり見張ってあげないとね!」
本音は、ガウリイの手荷物などどうでもいい。光の剣を忘れていないか、ただそれだけが心配なのだ。
宿泊客の忘れ物として倉庫の片隅に眠らせるぐらいなら、あたしが貰ったほうがよっぽど有益に使えるはずだ。そんな企みを抱いて早一ヶ月。残念ながら、ガウリイは手荷物を忘れる事はあっても、光の剣を忘れる事はなかった。ちっ。
「あ。心配しなくても、剣を宿に忘れたりはしないから、安心しろよ」
そう言ってガウリイは、あたしの頭をぽんぽんと叩く。そういうところだけ聡くなくていいんだってば! 内心で再度舌打ちしながら、あたしはブーツのかかとを三度鳴らすと先に立って宿を出た。

昨晩取った宿は大きな広場の端にあった。広場の中央には、てっぺんが見えないほど大きな常緑樹が青々と茂り、その周りは屋台が立ち並ぶ。おかげで扉一枚越えれば、雑踏と香ばしい匂いにめいいっぱい包まれる。あー、いいにおひー。朝食を食べ終えたばかりだってゆーのに、もうお腹減ってきた。匂いにつられ、あたしは人ごみを掻き分けながら広場をそぞろ歩く。
「ねぇ、ガウリイ。お昼のお弁当用に何か買って行かない? ……って、あれ?」
いつもなら、何も言わなくても三歩後ろについてくる自称保護者がいない。頭をめぐらせてみれば、周辺より頭一つ高い金髪の青年は、いまだ宿の前にぽつんと佇んでいた。どうやら光の剣は忘れなかったが、脳の中身を宿に忘れてきたようである。全く世話が焼ける。

「ちょーっと、ガウリイ。何、ぼけーっと突っ立ってんのよ。お腹でも痛いの?」
「あ、いや――ちょっと考え事してた」
「……雲は見当たらないけど、嵐でも来るのかしら。出立、明日にする?」
「どーゆー意味だよ、それは……」
そのまんまの意味だけど。そう返そうと見上げた先の青い目が、あたしの足元へ注がれていたものだから、あたしも思わず下を向いたが――まあ、特に物珍しい物は何もない。
「あたしの足が、どうかした?」
「さっきリナさ、かかとを三回打ち付けてただろ?」
こう、とんとんとん、と。言いながら、ガウリイは自らの右足のかかとを、左足にうちつける。ああ、したした。それが、どうかしたのだろうか。あたしが首をひねると、ガウリイは言葉を続ける。
「昔、傭兵仲間で同じことをやってる奴が居たのを、思い出したんだ。リナも、いつも宿を出る前にソレやってるよな。何か意味があるのかと思って」
「なるほど。しかしあんた、物忘れ激しいくせに変なことだけ覚えてるのね」
「うるせー」
唇を尖らせたガウリイに向かって、あたしはもう一度ブーツのかかとを三回鳴らしてみせる。子供の頃絵本で読んだのよ、と笑いながら。
「絵本?」
「そう。長い話だから端折って説明すると、絵本の中で魔法の靴のかかとを三回打ちつけると、たちまち家に帰りついたってシーンがあってね。その真似よ。多分その傭兵仲間の人も、同じ本を読んだんじゃないかしらね。家に無事帰りつけますようにって、願掛けしてたんじゃない?」
「へー……って、リナ、家に帰りたいのか? それなら、郷里まで送ってやるが」
「あー、違う違う。子供の頃は絵本の真似でやってたけど、今は違う意味があるのよ」

――いい、見ててね?
こう、地面を踏みしめて……足の裏に意識を集中するの。両方のブーツで踏みしめた感触に違いはないか比べて……それから、かかとを打ちつける。アウトソール(靴底)とアッパー(甲革)の縫い目がほつれてくると、この時変な音がしたり、ぱっくり開いた穴が見えたりするのよ。そういえば一回だけ、これでヒールが取れたこともあるわ。アレは危なかったわねー。あの時は、早く気づいて良かったと胸を撫で下ろしたもんよ。

そう説明しながら、あたしはゆっくりと動作を反復する。
全て終え、あたしが顔を上げたときには、ガウリイは納得いったと満足げに頷いていた。
「つまり、ブーツの点検をするためにやっていたわけか」
「そうね。まあ、次の宿まで無事に着けますようにって、願掛けも兼ねているけど。
 あたしたちみたいな旅人にとって、靴のメンテナンスって結構大事でしょ?」
「そうだなぁ。いざって時に靴が壊れたなんて、洒落にならないもんな」
そう言って頷くガウリイ。うむうむ、理解してもらえたようでなにより。
「お前さん、見た目子供なのにしっかりしてるんだなぁ」
……でも、子ども扱いは余計である。あんたよりあたしの方が、ずっとしっかりしてるっつーの。
あたしは、べーっと舌を突き出すと、頼りない保護者を置いて先に歩き出す。

「ほら、ガウリイ! 早く来ないと、はぐれちゃうわよ!」

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――そういや、そんな話もしたっけ。

あたしはベッドに腰掛け、ブーツに足を入れながら、ほんの数ヶ月前の些細な会話を思い出す。
あの後、街道に出てから他愛もない雑談の中で、ガウリイの……というか傭兵に伝わる願掛けも教えてもらった。『ほつれた服を着た奴の近くで戦わない』、これを守れば家に帰れるのだとか。
何で? と問うたあたしに、ガウリイは「リナのおまじないと同じさ」と笑って答えた。身の回りに気を配らない奴は、いつでも戦えるような備えをしていない。つまりそんな奴の近くで戦えば、巻き添えを食うハメになるぞってことさ。

この時、何かにつけてあたしを子ども扱いしていたガウリイが、初めて対等に見てくれた。そんな気がして、以来あたしは身につける物の点検を念入りに行うようになったのだ。
なのに。それなのに――

「なんであんた、あたしの巻き添え食って、お姫様みたいにさらわれちゃったのよ……」

馬鹿。ばか。バカバカバカバカ。
あんた、どこいっちゃったのよ。はぐれるなって、あれほど言ったでしょ!?
いくらぼやいても、ひでえなあと笑いながら後をついて来る保護者はいない。
大きな手で器用に服のほつれを縫っていく相棒は、どこにもいない。

ここには、あたししかいない。
ちょっと目元が腫れちゃって。声が少し枯れちゃって。乾いた涙で頬が引きつっている、格好悪いあたしだけ。
ああ、やっぱりあんたがいなくて良かったわ。こんな顔見られたら、また子ども扱いするに決まってるもの。あたしの顔は見ないまま、ひとの自慢の長髪をぐしゃぐしゃにかき回して、あたしがキレて怒り出すまでずーっとそうやってるのよ。あんたはそういう人よね、ガウリイ?
そう問いかければ、記憶の中の彼が困ったようにへにゃりと笑う。そうよ、その顔。
あたしは、その顔がもう一度見たい。会いたい。声が聞きたい――……

「――――よしっ。落ち込んでいても仕方ない……行くとしますか!」

立ち上がり、マントを羽織る。ショート・ソードを身につける。
グローブを嵌め、姿見の前で一回転。……うん、完璧な美少女魔導師がそこにいる。
最後に、ブーツの右のかかとを三回打ちつける――これは、あたしの分。
もう一度、今度は左のかかとを三回打ちつける――これは、ガウリイの分。
これで準備は完了だ。

(……必ず助けに行くわ、ガウリイ)

そして一緒に帰りましょう。
――どこへって? どこだっていいのよ、そんなもん。
あんたとあたしが一緒にいて、面白おかしい場所ならどこだって、ね!


リナさんのおまじないは、『オズの魔法使い』から拝借したものです。
ガウリイの方は自作ですが、身だしなみからその人の人柄や仕事ぶりを推測するのは、現実でもよくあることではないかなーと。


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