10の欠落 「おいしい、という感覚が消えたら」

「――あひぃぃぃっ!!!」

昼食時でごった返す食堂に、響き渡ったあたしの悲鳴は。
フォークとナイフをフル稼働させていたガウリイの目を、真円に変形させ。
給仕のおばちゃんの失笑を買い。
他のお客さんからは、同病相憐れむといわんばかりの視線を集めた。

おばちゃんは手馴れた仕草で、冷たい水が入ったコップと、あたしが落としたスプーンの替えを差し出しながら、苦笑いを浮かべる。
「あれほど、熱いから気をつけなよって言ったのに……。シチューは逃げやしないよ?」
いやそれが。逃げるんだってば、おばちゃん。
あたしたちのテーブル限定だけど。

受け取った水を口に含むと、バターとクリームが混じる香りが、再びあたしを誘う。
ちろりと細目で睨んだ先には、あたしの可愛い舌を苛めてくれた犯人。
この食堂の名物、ドームシチューである。

大き目の陶器のカップに、チキンやきのこ、根野菜を煮込んだクリームシチューをそそぎ、その上にたっぷりのバターを練りこんだパイ生地で蓋をして、オーブンで焼いたこの一品。
オーブンの熱でぷっくりと膨らんだパイ蓋のおかげで、いつまでもあつあつのシチューを堪能できる上、さらにパイを崩してシチューに落とすことで、香ばしいバターとクリームが混じりあった香りがただよい、普通のクリームシチューとはまた違った味わいが楽しめる。

このシチューに難点があるとすれば、唯一つ。
今のあたしのように、適温になるまで待ちきれず、口内を火傷する輩が出ることか。
店内のお客さんの目が同情的なのは、みな同じ目にあったことがあるからだろう。

食べたい。
でも、痛い。
……でもでも、たべたひ。
…………やっぱり、いたひ。

あたしは左手にコップを握り締めたまま、未練がましい目つきでシチューを見つめ――右手のスプーンで、向かいの席から伸びてきたフォークを払いのけた。

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「……おなか、すいたぁ〜……」

食堂から引き上げ、ベッドに座り込み、開口一番がこの台詞とは。我ながら情けないやら、悲しいやら。
あの後、ある程度冷めた料理を狙って口に含んでみたものの、味を感じる以前に痛みに襲われ。結局、食欲より火傷の痛みの方が勝利してしまい、シチューどころか、他の料理も全てガウリイが平らげてしまった。
注文した料理が無駄にならなかったのは、本来ならば喜ぶべき事なのだろうが。こちらが指をくわえてお預けをくらっているのに、美味しい美味しいと満面の笑みを浮かべる相棒の顔を見せつけられては、多少の殺意が沸いても仕方ないだろう、うん。

空腹を訴える胃をさすりながら、あたしは手荷物から手鏡を取り出すと、大きく開いた口の中を映しこむ。
舌はところどころ赤く染まり、頬の内側は一部皮が剥けていた。道理で痛いはずだ。
「別に、猫舌じゃないんだけどなぁ……」
うーみゅ。ドームシチューの保温性、恐るべし。
何度か鏡の角度を変え、傷の位置を全て確認したあたしは、おもむろに治癒(リカバリィ)を唱え始めた。


――ん? なぜ、食堂で治癒しなかったのかって?


理由は簡単。
治癒をかけるには、手が患部に接触していなければならないのである。
想像してみてほしい。
昼食時。客で溢れかえる食堂の中。愛らしい美少女が大口開けて、口の中に手を突っ込む姿を――。
二度と、その店の敷居をまたげなくなること請け合いである。
席を立って、トイレ辺りで治療する事も考えたが、食事中に席を立つのは、いくら相手がガウリイでも失礼な気がして避けた。おかげで、腹ペコなわけだが。

さっさと治療してお菓子でも買ってこようと心に誓い、再度あんぐりと口を開け、手を突っ込みかけたところで、安普請のドアがノックされた。
「ふぁひ?」
……せめて、手を抜いてから答えればよかった、と自分の声を聞いてから、悔いる。
改めて、手を抜いてから「開いてるわ」と答えれば、入ってきたのはあたしの昼食を全て掻っ攫った憎いヤツ。

「リナ、口の中どうだ?」
「皮がべろんって剥けてた。痛いはずだわ」
「食い意地はってるから……」
「やかましい。」
べーっと舌を突き出したあたしを見て、ガウリイはくすくすと笑い出す。その手には、小型のミルク缶と、なぜかスプーンがぶら下がっていた。……が、漂ってくる香りは、ミルクとはちょっと違う。

「なあに、それ? フルーツのような……ちょっといい匂いがする」
「ん? 差し入れ。リナ、呪文は使えるんだよな?」
「うん」
つーか、今まさに呪文を使って、治療しようとしてたんだけど。
「じゃあ、この缶に冷たい呪文かけれるか? ほら、よく夏場にマントかぶってかけてるアレ」
「ああ、弱冷気の呪文ね。おっけー」

目の前に突き出された缶に手のひらを添えると、あたしは混沌の言語(カオス・ワーズ)を紡ぐ。
ほどなくして、缶の表面が白い霜に覆われた。うん、こんなもん……かな?
添えた手を離すと、ガウリイは満足げに頷き、缶を抱えたままあたしの隣に腰掛けたが、彼の方が座高が高い分、缶の中身はあたしには見えない。

「で。結局何なの、それ?」
「ちょっと待てって。すぐやるから、目瞑ってな」
言われたとおり大人しく目を瞑ると、ざくざくと霜柱を踏みしめるような音が聞こえる。続いて、鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香り。
たまらず、ぱちりと目を開いたあたしの鼻先には、スプーンに盛られきらきらと光るピンク色の氷。

――ぱっくん。

一も二もなくスプーンに飛びついたあたしを見て、ガウリイは盛大に吹きだす。
「リナ……せめて、食べ物かどうか確認を取ってから、食いついた方がいいと思うぞ?」
「いーにおひひてたひ、らいじょーぶれひょ」
むひむひ。しゃりしゃり。ごっくん。
ちょっと傷口にしみるけど、口内の火照りをさます冷たさと、フルーツの甘さが心地よい。
この味は……
「いちご?」
「当たり。生クリームに、潰したいちごと砂糖を入れてもらったんだ。これなら食えそうか?」
こくこく頷くあたしを見て、ガウリイは目を細めると、再びスプーンを差し出す。
あむ。しゃりしゃり。こくん。
「もっと。」
「ハイハイ」
雛鳥に餌付けをしている気分だ、と笑いながらも、結局缶の中身がなくなるまで、ガウリイは飽きることなくスプーンを差し出し続けてくれた。

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食べ物を美味しいと感じること。どんな時でもしっかりと食べること。
それは当たり前のようで、大切な事。
特に、あたしたちのように旅を続ける人間。そして、いつ、どんな戦いに巻き込まれるかわからない手合にとっては、生死の境を分けると言ってもいい。

――けれど。
昼食を食べ損ねたおかげで、こんな思いがけないご馳走が貰えた訳だから。
たまには、こんな日もアリかもしれない。


ドームシチューの元ネタは、ケンタッキーのポットパイです。もしくは、味っ子に出てきたアレ(古いな)

リナは、過剰に世話を焼かれる事を嫌がりそうなタイプですが、こーゆー過保護は喜ぶんじゃないだろうか? と思いつつ書きました。だからあえて、治療は後回しにしてでも、シャーベット(ガウリイの好意)を先に食べてます。本当は、治療してから食べた方が、美味しいんでしょうけどね。


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